茅ヶ崎アウトリガーカヌークラブ

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このストーリーはアウトリガー一年坊主のまさと魚の世界最長レース、カタリナクロッシング奮闘記である。

01

まず始めに何故われわれ一年坊主のまさ (クラブ代表40歳)と魚(若手ホープと いっても30歳)がこの世界最長であり今回で41回目を向かえる権威あるレースに挑むことになったのかその経緯について話しておこう。 われわれは1年坊主といってもモロカイホエを目指し週3で45kmはパドルしている1年坊主である。クラブの中でも人間的にはさておきパドリングではメンバーからの信頼は厚く、魚は日体大柔道部レベルは県大会どまりだが前向きな精神はまさに武道家、そして俺は自分で言うのもなんだが競泳ではかなり言わせたスイマーだ。水に関することは誰にも負けたくは無いスーパー40歳だ。6月のある日、 カリフォルニアから一人のパドラーが我がクラブへやってきたその名はデューク、屈強なガタイに物静かな雰囲気が海の男を物語っていたのが印象的だった。 その後解るが九州出身、ケンちゃんと呼ばれていたことが笑える。極めたもの同士、ファミーリーになるのには多くの時間は必要なかった早速翌日からパドリング、健ちゃんいやデュークはCALニューポートOCCのストローカー、パンチの効いたストロークで恐ろしくタフだ、俺たちも負けずにセッションに明け暮れた。

8月の大会後デュークからカタリナ一緒に行かない?!いきなりまた凄いことを例によって物静かに言い出した。まだチームで出るのは難しいがクラブの中で数 名やれそうなのがいるといっていた、そのうちの二人が俺と魚だ。というかこの 時期に仕事を1週間休んでLAに行けるというのが俺と魚しかいないという言い方もある。俺に関しては湘南OCCからモロカイのオファーが有り悩んでいたが LAには行ったことないしマリブのブレイクやハンティントンピアとビーチガール気分はすでにビックウェンズデーまた息子の保育園最後の運動会の応援もありデュークとLAに行く決心をした。スーパー40歳とはいえ家族を説得するには多少の時間とタイミングが重要でなかなかLAに1週間とは言い出せずにいたが何とかクリアー、魚は納骨がどうとかこうとか訳のわからないことをいっていたが、俺のふざけるなの一言で全ての予定をスキップして参加を決意した。漕げる保証は無いが見るだけでも勉強になるし波もある とにかくウォーターマンである以上そこに居ることが重要だ。
これが参戦のいきさつだがこの1週間がわれわれの人生を大きく変える強烈なト リップになることは・・・・

9月9日 DAY1

成田発LAXQS012、18:25に乗るため少し早いが昼過ぎに集合。リュウタローのトランスファーもあり気分は上々、ラーメンでも食っていくかとわざわ ざサティーまで行き腹ごしらえ。後は目が覚めたら成田の予定だが車に乗るいやいなやいきなり財布を落としたと魚が言い出した。どうせどっかに有ると余裕をかましていたがだんだん魚の顔がまじになってきた、さすがにトリップ初日LAで財布すられたと言うならこれもいい思い出、茅ヶ崎で落としたとなれば洒落にならない。背中を丸め慌しくポケットなどをリサーチする姿その顔はまさにジュラシック何度も車の中を覗き込み最後には食われるのではないかと怖くなりたまらずもよりの交番へ、なんとその財布は届けられていた。さすが普段の行いがいいと神に感謝し、落ちていた場所を尋ねると魚の家の前。何とも先が思いやられる。そんなラッキーな出来事に追い討ちをかけるかのごとく空港ではいきなりジャッ キーチェンが登場、ポリスアカデミーそのものニコニコ、チョコチョコ、俺はガ ラス越しに握手までしてしまった!!思えばこの時点で凄いトリップになる兆候 があったのだった。

9月9日 DAY2

十数時間飛行機に乗ったが同日9日12:00無事LAXに到着、車をゲットし まずはデュークとジョインすることがファーストミッション。魚はまったくと言っ て良いほど英語は×日体大柔道部であの顔、大体は予想していたがまさにそのとおりであった。だがそこは武道家もの応じせずハーツのカウンターでなにやらやっ ているがまさに良くあるYESマンさすがとしか言いようがない。俺も人のこと は言えない、デュークに電話するのに2ドルも使ってしまい、挙句の果てにはカウンターのねーちゃんにかけてもらう有様だ。ここからはカタリナクロッ シング珍道中とタイトルを変えよう。何とか連絡がつきハンティントンのピアでジョインとの支持、待ち合わせ場所は最高だ!だがここからどうやって?地図を片手にデュークからは海は西、南へ下れと戦国武将のよな指示が飛ぶこれもさすがとしか言いようが無い。
何とかHWをダウンザラインすることに成功、フルサイズのピックアップが150 キロぐらいでかっとんでいる、まさにカリフォルニアだ、走ること1時間、ウオ〜 後方よりダッジに牽引されミラージュ(OC6)が登場、当然クロッシングに行くチームであろう、2日目にして些細なことで2人の盛り上がりは頂点へ。しかし片側4車線白いコンクリートのHWをOC6が4艇トウインとは日本ではお目にかかれない風景だ、盛り上がるのも無理は無い。白髪のおばちゃんにあおられながらようやくハンティントンに到着。(道中派手に黒煙を上げ炎上する車を見てトラブルといっていた事と、真顔でマササン事故もアメリカンですねといっていたこと が目をつぶると思い出されて眠れなかったことを付け加えておこう。)

さーここはオッキーがあのトムカレンを撃沈したOPプロの大舞台ハンティント ンピア!浮かれているとやけに冷静な魚、デュークさんを探しましょうだって。携帯に電話するが又もやかからず先輩としては非常にバツが悪い。まーのんびり行 くことにしてビーチに目を向けるといきなり上半身裸でランニングをしているおじさんが!良く見るとデューク!なんとも劇的な再開である。やーまさ、遅いからランニングしてたよ!確かに遅かったけどランニングして待ってるのもどうかと思う。早速翌日のレースの話だ、いろいろテイクケアしてくれたがやはり新参者の1年坊主が漕げるチームはなかなか見つからないようだ。アリゾナのチームに空きがあるようなのでそれにかけることにし取り合えず連絡待ちだ。さらに南に15分レース会場のニューポートビーチに足を運んでみた。おそらくここはかなりお金持ちの住む町であろうベイ沿いには何とも雰囲気のある家が建ち並び玄関先にはプライベートピアにクルーザーといった感じだ。デュークもこの町に住んでいたらしい。詳しく聞くと山のほうだという、これも笑えた。そこでデュークの所属するニューポートカヌークラブにおじゃました。ミュージアムの脇のビーチにOC6が4艇、デッキチェアーとパイプむき出しのシャワーが夕日を浴びて最高にまぶしく感じた。デュークがパドリングする?と言い出した、もちろん!断る理由は何も無い早速フルチンで着替えるやいなや3人でOCを出した。どこまでも続くその風景に言葉を失いかける、とにかく最高なところだ。ここが以前は砂漠で人工的に作られたとは信じがたい、今でもあの生い茂るグリーンには水をやらないと枯れてしまうらしい。40になってもそう思うのだから若い魚はさぞかし感激していることであろう、ふと魚を見ると汗びっしょりかいて脇目も振らずひたすらパドルをしていた、さすがだ。けしてほめているわけではない。
漕ぐこと1時間ベイの出口付近まで来たここが明日のスタート地点だという、ベイ沿いの家から歓声が聞こえるようだ、ここにOC6が40台明日は凄いことになることが容易に想像できる、と同時にやはりその晴れ舞台で俺たちがパドルすることは無理なことも解らされた。魚、少しは景色でも見ろよ!俺と魚がステアーを交代、良かれと思ってやったことだがどうやら魚にとってはそれどころではなかったようだ。日もどっぷりとくれそろそろセッションも終わろうとしている、焼けるような夕日に一段とテカル魚と俺、そしてデューク。節約のためベイエリヤから少し入ったモーテルで成田から40時間、長い一日は終わりを告げた。

02

9月10日DAY3

いよいよ大会当日、クロッシング往路メン、ウィメンのミックスレースのスタートだ。昨日のデュークの話だとニューポートOCCは復路のみ参加ということなので、スタートを見にルックアウトまで行く約束だった。時差ボケなどあるわけも無く朝6:00にはスタンバイ連絡を待つが一向に電話が無い、どう見てもやばい時間なので連絡を待たず昨日カヌーから見た景色を頼りに魚と車を走らせた。何とかルックアウトに到着、そこには双眼鏡を持った人が数人いて間違いなくいここだと解った。しかしその静けさが妙な感じ、もしやと思いルックアウトに駆け寄るとやはりスタートはすでに終わっていた。何とかベイの沖でチェイスするOCを確認することができたが何ともむなしい。するとデュークから電話が来た、予想どおり飲みすぎたようだ、デュークにとってはどうやら俺たちがモーテルをチェックアウトしてしまったので寝れないことがスタートが見れなかった事より残念らしい。これもまたさすがと言う事で忘れることにした。そうこうしているうちにすでに昼、やっと酔っ払いとニューポートOCCでジョイン、明日のエスコートボートをニューポートビーチに運ぶので行かないかという良い話だ。これで今朝の件はチャラ、南へ30分ダナポイントという港町に足を運んだ。そこでクラブのメンバーを紹介される皆とてもフレンドリーだ特にキャプテンのゴードンは名前からしても凄そうだが鋭い目つきと太い腕が印象的だった。翌日のレースの飲み物やパドル、ユニホームなどを船に積み込ニューポートへ向かった。ペリカン岬を抜け約一時間、途中のブイにはアザラシが寝ているし空を見ればペリカンの群れ隣は魚、ここは動物園か?! 3日目もそろそろ良い時間だこの日はゴードンにエスコートボートに泊まってもいいといわれ早々と寝床を確保、クルーたちと夕食をとることにした。安いメキシカンだ、ブリトウとタコエンチラーダを頼んでトイレにいった、その途中目に入る他のテーブルのプレートの大きさとそのしつこそうな盛り付けと量に唖然。もちろんこの直後2つ頼んだことを後悔することになる。あの魚でさえ残している俺が食いきれないのも無理は無い。そこでゴードンから明日のレースはトップテンを狙っているパドルは無理だと聞かされる、例のアリゾナのチームもだめであった。その結果には何の不満も無いむしろ感謝している。エスコートボートに乗れるだけで魚はクルー気分だ、俺も人のことは言えない。とうぶんメキシカンはいらない気分で寝床に戻る。最高のロケーションだ!あまりにも静か過ぎる港に魚と俺のおしっこの音が響き渡る。空をみやげれば満天の星空だデッキに寝袋を出しカラット冷えたCALの風が心地よくゆりかごの中にでもいるような錯覚に陥ってしまいそうだ、明日はいよいよクロッシング!おやすみ。

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9月11日DAY4

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5:00集合レース艇をカタリナまでエスコートボートで運び10時からレースといった今日のスケジュール。いよいよだ!コーチ、監督、クルーそして魚と俺。総勢15名のチーム、ベストテンを狙いどんなクルーが来るのであろう、ウォーターチェンジなどいろいろ想像してしまい4:00には目が覚めてしまった。デュークはまだキャビンで丸くなって寝ている。魚を道ずれにクルーの朝食を買いに気の聞いた行動をとることにした。しかしまだどこもやっていないやっと見つけたGSのコンビニ風ストアーが開いているが店の中には入ることができない、おそらく時間的に防犯上のことであろう、窓際から買いたいものを言いお金を脇のポストから入れるシステムだ。そんな芸当できるわけが無い、魚と二人で身振り手振りでまるでパントマイムのようだ、深夜営業の店員は相当無愛想どこも同じだ。果物とライトフードを買う予定だったが見えるところに無く指を刺して解る範囲の注文にいやがおうにも限定されてしまった。やむなく一番手前のドウナツとなった砂糖で真っ白、油ギトギトで袋がドウナツにへばりついている。とても朝から食べる気がしないがゲット。気を利かせたつもりだがレース終了までこれには誰も手を付けることはなかった。時間は5:00あたりはまだ真っ暗だ、ここはCAL時間通りには来ないと思っていたが6:00になっても誰も来ない、恐れ入った。6:30位であろうかぞろぞろと集まり始めた。クラブに行きレース艇をボートに固定いよいよカタリナに移動だ。船の固定やロープの長さなどの作業中、迅速かつ的確に指示を出す老人が目に付いた、白髪でよぼよぼだ年は70ぐらいであろうか、しかし並々ならぬオーラとクルーたちの接し方を見るとただ者ではないのであろう。またQSのトランクすもおしゃれだ。その老人の名はアンクルトーマス、トーマスカラマだ。あの伝説のビックウェーバー、デイブカラマの叔父で50年前に初めてCALにOCを運び込んだ人物であり、モロカイやコナ、カタリナクロッシングなどのビックタイトルを総なめにしたレジェンドパドラーだ。その男がクラブの監督である!海の男はみな物静かなものだ自己紹介をして握手を交わした分厚い手だった。そううこうしているうちにベイを離れ一路カタリナへ。島の前傾が見えてきた、かなりでかい島だ島周りは定かではないが南北に40キロほど有るらしい、伊豆大島の倍といったところであろう。ふと後ろを振り返るとゴール地点はおろか陸など何も見えない見えるのは青い海だけだ、この距離を漕ぐのかと思うと見学も悪くは無いようだ。魚はなぜか準備体操、相変わらず面白い時間のすごし方をしている、デュークはというと船酔いで寝ているこれも何とも笑える。

05

ニューポートを出て1時間半カタリナに到着だ、すでにレースに出るためのカヌー、クルー、エスコートボートで島はごった返している。ほとんどのチームが前日から島でキャンプをしているとのことだ。スターまであと1時間カメラとビデオを片手に上陸、ピカピカのOC6がところせましと並んでいる凄い迫力だ、そしてクルーたちは皆でかい。どうやら40チームどころではなさそうだ、数えてみるとわれわれを入れてなんと70艇、改めてそのスケールに驚かされる。そのほとんどがミラージュだが個性のある船もたくさんあった。次々とウォーミングアップが始まった、どのチームもパドルの狂いなど寸分も無い大会のレベルの高さと選手たちの意気込みがギンギン感じられる。俺もなぜか準備体操、否が応でも興奮してきた。これでは魚と変わらないが、その会場の雰囲気はスタートまじかということなのかもの凄いオーラで見ているものは皆吸い込まれてしまうのだ、これこそがカヌーの魅力なのかもしれない。一通りビデオ等の撮影に満足した俺はボートに戻りスタート地点のベイまで移動した、続々とカヌーが集まってくる、70艇のカヌーが横一列に並んだその距離はかなりのものだベイの出口はカヌーで埋め尽くされてる感じ、凄い迫力だ。こんな風景は見た事がない、何と言ったらいいのであろう秀吉の軍政が丘の上から敵陣に乗り込もうとしているその瞬間とでもいうのであろうか鈴鹿にF1を見に行ったことがあるがその比ではない。まさに海賊だ!!一瞬あたりが静まり返る、次の瞬間いっせいにベイ全体が動き出した、スタートだ!!エンジンが付いているかのごとく水しぶきを上げカヌーは走り始めた。

それを見守るように各チームのエスコートも後を追う。両方あわせて140艇、民族大移動の始まりだ。15分が経過、早くも何て艇かが抜き出ている凄いパドルのペースだ70/分は行っているであろう、この後5時間漕ぐとはとても思えない。1時間が経過、いくつかのグループに分かれてきた、この辺はマラソンと同じであろう、ただひとつ違うのはコースは自由ということだ、とにかく50キロ先のニューポートに一番先に着いたものが勝者だ。各チーム、潮、風、波をよみ大海原へ散らばり始める。この中から自分のチームを見つけてエスコートするのも一苦労だ。さてこの辺で我々のクルーを簡単に紹介しよう、ストローカーは若手のティム、二番シートに経験はまだ浅いがハワイアンのチャールズ、パワーは有りそうだが腹が少し気になる、3番シートがかなり腹の出たカルロス昔は名の知れたアスリートだったらしいがその影は見当たらない、4番シートはディーノ彼もハワイア、ベテランパドラーだがピークはとうの昔といった感じだ年は55歳ぐらいだろうか、5番シートは大男のビンス、大念のパドラーだ、一人グラブをしていけそうな感じだ。

そしてステアーはバート、めちゃくちゃのりが良い!俺もこういう年のとり方をしたいと思う。60才は越えているであろう信頼の置けるステアーマンだ。そして控えにチャイニーズ、見た目山田さんのティム、フィットした体でナイスガイ。大男のトム、ワイフらしいゴージャスな女性とクロッシングを楽しむようだ。そしてデューク、パドルを持つと目の色が変わる熱い男だ。クルーはこの9名、それにボートを操船するゴードン、監督のトーマス、デッキにはチャイニーズのビンス、交代選手のマッサージやアドバイスをする役目だ。顔も存在もベストキットの宮治さんだ。そして変な日本人、魚と俺だ。昨日から興奮してよく解らなかったが冷静に見ると昨晩のゴードンの話とはだいぶ違うようだ、これでベストテン・・・・ゴードンにその辺を訪ねるチャンスがあって聞いてみたら例の若い連中は皆学校で来れないらしい。世界最長の海峡横断レースに挑むわりにはなんともスケールの小さい理由だが仕方の無いことのようだ。しかしこのチームのすさまじいカヌースピリットはここから始まる、そして俺たちに夢のようなチャンスがめぐってくるのだ。
ほとんどのチームが大きく北にコースを取る中、トーマスは南よりのコースを支持しているレースは10チーム
ほどのグループに分かれてきた。そして1時間20分が経過、スタートからほぼ全力で漕ぎ続けかなり沖合いに出てきた、うねりも伴ってきてパドルが乱れ始める。

08

するとトーマスから最初のチェンジオーバーの指示が飛ぶ1、2、5と交代選手のシートナンバーが知らされるボートは先回りしてカヌーを待つ、ビンスの合図でデュークたちが海に飛び込む、そこにカヌーが駆け込んできた、1.2.5の選手がパドルを置き右側から海に飛び込む、次に瞬間左側から交代の選手が飛び乗った。なんというチームワーク、カヌーは泊まるどころかガソリンを補充したように加速して走り去っていった。いったい何が起きたのであろうまるでF1のピットインだ!!かっこよすぎる。選手がボートに帰ってきた宮治さんがグットジョブと選手を労う、皆いい顔だ。水分を補給すると次のチェンジまで最大限の回復に努める。さーデュークがどんどんペースを上げ始めた、前にいるチームを抜いき引き離している、他のチームのエスコートボートの引き波でかなり漕ぎずらそうだがペースはどんどん上がっている、するとスローダウン指示が出た後ろの選手がそのペースについて来れないようだ。2回目のチェンジだ3,4の選手が交代だ、かなり疲労している様子だ、後は任せろといわんばかりに交代の選手が又ペースを上げる。このような感じでレース中トーマスから細かい支持が飛ぶ!終始タイミングを合わせろといっている、やはりそれが最重要事項のようだ。後は疲れてきている選手を15分から20分ぐらいの間隔でチェンジしてレースを組み立てていった。2時間半が過ぎたであろうか、カタリナもカリフォルニアも見えない。太平洋のど真ん中の普段であれば最高のロケーションだがこのときばかりは気が遠くなる思いだ。チャールズ、ディーノ、ビンスはカヌーに上がるのがままならなくなってきたチェンジのたびにスピードが落ちてきた、バートが檄を飛ばす!若いチームがここぞとばかりに追い上げてくる。レース中盤残念だが善戦からは離脱すするようだ、このペースではもたないとトーマスは判断したのだ。スローダウン、リラックスしろ指示が出た。しかし選手たちはただ一点まだ見ぬニューポートから視点をそらすことなく漕ぎ続ける、ディーノのは意識が朦朧としているようだしかし漕ぎ続けるなんというスピリットだ、果たしてこの年で俺たちはここまでやれるのであろうか、とにかくクルーたちは漕ぎ続ける。日本では考えられない50を過ぎたおじさんたちが手漕ぎカヌーで60キロの海峡を渡ろうとしているのだ。するとトーマスからフィッシュ、マサ、ユニフォームを着ろ、準備は良いか!と声がかかる自分の耳を疑った、デュークにユニフォームを手渡された。信じられない出番が回ってきたのだ。俺ならまだわかるが魚まで!

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もちろん行くしかない、魚は4番シート俺は5番シート。まずは魚が飛び込んだ見よう見まねで自分のシートのナンバーを叫んでいる、まさかあいつ乗り遅れておいて行かれるのでは見ている俺は気が気ではないがとにかく行けー行って来いと叫んだ、叫ぶしかなかった。カヌーが駆け込んできた、無事チェンジ成功!がんがん漕ぎ始めるがどうにもペースが合わない、タイミングを合わせろと何度も指示が飛ぶが興奮状態の魚にはなかなか届かない。やむなくチェンジの指示が飛ぶ、次は俺のばんだ。水泳の選手らしく頭から飛び込んでやった。チェンジは5番シートだ、駆け込んでくるパドルを4本交わし5番シートに飛び乗った。パドルが無い!流されたのだ。すかさずヤクの予備のパドルをはずし漕ぎ始める。最高の気分だ!とにかく合わせる事とパドルチェンジに集中した、せっかくのチャンスだクルーたちにパドルで恩返しをしようと漕ぐことに集中をした。何分漕いだかはまったく覚えていないが漕ぎまくった。するとチェンジの合図だ見よう見真似で右に飛び込む、カヌーは走り去っていった。ボートに戻ると皆が居た、トーマスやゴードン、宮治さんから声がかかる、なんともいえない気分だ、これだよこの気分だ!!本当にすばらしいスポーツだと実感した。ここからは何度と無く出番が回ってくる、だいぶ周りが見えてきた。魚もペースがつかめてきたようだ、スムースにこいでいる。興奮状態の中4時間が過ぎていた、ニューポートをはっきりと見ることができる位置まで来た。いったい今何位なんであろうか周りにはカヌーは見当たらないがいよいよニューポートベイの入り口に差し掛かろうとしている、ベイからゴールまでは約1時間あまりチェンジは無し、どのチームもラストスパートに備えてベストメンバーに入れ替わっていく、われわれも最後のチェンジを済ませベイを目指した。するとどこからともなくベイめがけてカヌーが終結し始めた5時間にわたるレースもいよいよ山場だ、ここで抜かれるわけには行かないテールツーノーズの接戦がベイのあちこちで繰り広げられる観客も総立ちで声援を送っている。もちろん俺と魚はボートの上からクルーに檄を飛ばす役目だ。ベイの中は制限速度があるためカヌーには追いつけなくなってきた、だんだんとクルーたちの背中しか見えなくなってきたがまだチェイスは続くとにかく最後の力を振り絞り全力で漕ぐ、本当にクルーがひとつになる瞬間かもしれない。誰一人心に迷いがあったら抜かされてしまう、みんなそれはわかっているが5時間の死闘の末のこと弱る自分にも打ち勝たなくては勝利はないのだ。やがてカヌーは見えなくなった。ゴール地点に着くとレースを終えクルーたちはクラブに戻っていたお互いをたたえ合い成し遂げたものにしかわからないすばらしいときをみなで共有していた。どうやらベイの中でチェイスした前のチームは抜けなかったようだがみなレースには満足しているようだ、久々に涙がこみ上げてきた。ゴードン、トーマスから来年は仲間を連れてこいと肩をたたかれた。

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もちろんだこの感動をみんなと分かち合えたらどんなにすばらしいことであろうか、必ず来年はみんなで来ると約束をしたそしてカタリナクロッシング41年の歴史の中で日本人チームが参加するのは初めてのことであろう、その歴史に名を刻むことをちかった。これが俺たちのカタリナクロッシング奮闘記であるが、この場を借りてニューポートカヌークラブのみんなには感謝の気持ちを伝えたい本当に有難う。そしてこんな俺をいつも温かく見守ってくれる妻や子供たちにもお礼を言いたい、有難う。最後にこれを読んでくれた諸君、今年はカタリナを絶対に成功させよう!理想は18人で往路のミックスと復路のメンズだ。この18人はもちろんさまざまな生活を送っているわけで形の上で一つになることは非常に難しい。しかし住む場所、仕事などが違っても何時もカヌーのことを思いパドリングはもちろん、個々のトレーニングを怠らなければ気持ちは一つになるはずだ。

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今回のカタリナクロッシングに掛かった費用

渡航代 航空運賃(成田〜ロス往復) ¥86,000
現地費用 レンタカー(1週間、ガソリン代込み) ¥72,000
  宿泊代(5泊) ¥24,000
  その他の雑費(食事等) ¥50,000
  エントリー費(エスコート代含む) ¥6,000
  (一名) 合計 ¥178,000

参考までに
滞在中カヌー以外は波乗り、観光は移動中何所に寄る程度。飯は何時も好きなものを食べ、宿はこぎれいなモーテルといった感じである。

Fin.

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